父の会社を守りたい・・・
倒産の危機を乗り越えた手腕に迫る。
株式会社エフアイ 代表取締役社長 北野裕子
第2回目となる今回は、滋賀県栗東市に本社を置き、30分フィットネスで有名な「カーブス」を県下に6店舗展開している健康事業をはじめ、セミナー研修、コンサルと幅広く事業を展開している北野社長の志、そしてお父様から受け継いだ会社に対する思いについて迫っていきます。
北野社長に影響を与えたもの、それは本。
それも1冊ではなく、3冊もご紹介くださいました。
‶優しい会社 時代の転換期に会社は、人は、どこへ向かえばいいのか”
‶7つの習慣”
‶永遠の0”
ビジネス書から、映画化された小説まで・・・
この‶三冊三様”の著書からどのような影響を受けここまでこられたのでしょうか。
受け継いだ会社、直面する現実
──会社立ち上げに至るまでを教えてください。
元は父が会社を経営しており、私は2代目として事業を継承しました。
当初は写真フィルムの現像やプリントを専門とする”写真の店”としての創業で、私が19歳の時に公務員であった父が、54歳で早期退職し1店舗目を開き事業を始め、多い時には10店舗まで数を増やしました。
その当時には、勿論まだデジカメもなくて、写真の現像のお店というのも珍しく、オープンの時には行列も出来ていたんですよ。あと、連休明けも沢山のお客様がお店に来てくださいましたね。
──どういった経緯で現在の健康事業を主軸とした業務形態に移行されたのですか。
だんだん写真がアナログから、デジタル、そして今はスマホへと、だんだん時代と共に移行していく中で、写真現像の需要も減っていきました。
それに比例してお店の業績も悪化していって・・・
そしたら、その矢先に父が病気に、癌になりました。転移があるかもしれない、でも持病のせいで検査も出来ない。
もしも、父に万が一のことがあったら会社はどうなるのだろう・・・
ちょうど同じ年に新しい事業を始め、フェラーリが1台買うことが出来るほどの機械を何台か導入した関係で、借り入れが多い時期と重なったこともあり、とても不安定な時期で、私自身色々考えることもありました。
その時までは父の言うとおりに写真のお店を支えていたのですが、万が一の際に、父の起こした会社を絶対に無くしてはならない!と決意をしました。
写真のお店がどんどん経営が悪化していく中で、何か違う事業を会社の柱として据え置かないといけない。その時に出会ったのが『カーブス』という事業で、それが今に至る健康事業をはじめるきっかけとなりました。
最初はカーブス以外のサーキットトレーニングを扱う似たような形態の他企業にも興味を持っていたのですよ。
でも実際に店舗に赴き視察していく中で、他店の一辺倒な接客とは違う、カーブスのしっかりと人を見てその人に合わせた心地よい接客をするという姿勢に心を打たれたのがカーブスをやっていこうという一番の決め手となりました。
業務転換時に、学習塾を始めとする他の業態にも興味はありました。
私の愛読書の中に『7つの習慣』という成功者をそれぞれモデリングし、7つの成功習慣に纏めたビジネス書があります。
学習塾にはこの『7つの習慣』を教えるカリキュラムが予め組み込まれています。ただ、子供さんにこっちが教えたいと思っても親御さんが「受験のための勉強」を重視されると教えることが出来ないという、こちらがやりたい出来ないという懸念がありました。
実はカーブスも『7つの習慣』を取り入れています。
カーブスは、お客様が将来なりたい自分の為に、運動を習慣化していくことをお客様に啓蒙することが仕事です。大人の女性にそういったことがお伝えしていけて、健康な人が増えて、世の中に貢献していけるのであればこの事業はすごく遣り甲斐がある!と思ったのがカーブスに決めた理由でもあります。
私の両親の健康問題含め、これからの高齢化社会において、この事業はなくてはならないものだなと感じたのが健康事業に着手した理由です。
度重なる苦労を乗り越えた先にあるものとは
──色々な思いを持って事業を継承されたのですね。その中でも一番苦労したことは?
元々の会社も写真の10店舗までお店を出していましたが、非常に厳しい状態が続いて借金も膨らんでいきました。
数字をだすと2億円の借金・・・
私にとってはすごく大きな金額でした。その当時の売り上げが約9000万円、会社としては赤字でした。借り入れたお金を返していけない、従業員にお給料を払っていけないという資金がうまく回らない状況の中、先ほどお話したとおり父が病気になりました。
新しく事業をしなければいけない、ただ新しくカーブスのお店を立ち上げるには1店舗2000万円の資金が必要なんです。それを銀行から借りることができない・・・でもそこで諦めてしまうと倒産。
倒産っていうのは、借入金の担保となっている創業者の家や土地はなくなってしまう、すなわち私の実家がなくなってしまうという事。父や母、みんなが路頭に迷ってしまう事を意味していました。
それだけは、してはいけない。
2000万円は無理でも、なんとかまず500万円だけ借りる。また追加で何とかして・・・ということをしながら資金を集めていました。
今でもその時のことを思い出すと息が詰まりそうになりますね・・・。
ちょうど1店舗目カーブスを出店するか迷っていた時に、以前すごくお世話になった美容室の女性社長が、美容室の2階のテナントが空いているんだけど何かしてみない?と声を掛けてくれて。
しかもとても格安な賃料で場所を提供してくれることになり、その当時お金で困っていた私にしたら、なんて有難い話なんだろう!是非ここでさせてもらおうと思いました。
そんなこともあり、始め2000万円と言われていた運転資金が1500万円くらいで収まり無事立ち上げに至りました。
立ち上げる前の苦労は勿論ありましたが、立ち上げてからもまだまだ苦労は続きました。
1店舗立ち上げるのに3~4人スタッフを採用するのですが、みんな辞めてしまったり・・・少なくとも3人はいないとお店は立ち上げられなくて、ずっと広告の営業をやってきた自分がまさかインストラクターをすることになるとは思いませんでした。
本当に色んなことをやらなくてはいけなくて、現場にも入るし、経営側の仕事もするし、採用もするし、その上2店舗目も計画していたので、全部全部自分がしなくてはならない状況でした。
実はカーブスを始めると決めた時に、5店舗か6店舗はやると決めていました。勿論その当時には資金の目星は付いていなかったのですが、会社の2億円の借金のに対しての毎月の返済を考えた時に、どれだけ成功しても1店舗の利益じゃやはり無理で、それでは会社は厳しいまま。
6店舗くらいだして軌道に乗ったときにやっと会社が5年後存続しているなという絵が描けたんです。
それを今後のビジョンとして事業計画を銀行に提出していく中で、唯一1店舗だけ残していた創業当時からの写真のお店を閉じなければならないと指摘を受けました。
創業者である父の思いを考えると、そのお店を閉じるという決断をするのは辛いものがあったのですが、父に私の考えを伝えました。その最後のお店が今の本社ビルの1階にあったんですよ。
そういった中で銀行からの宿題をこなしていき、何度も事業計画をだしましたが結局そこの銀行からの借り入れは叶いませんでした。
しかしこの時に何度も練りに練った事業計画を武器に他行にあたった結果、融資を受けることが出来、2店舗目を開くことができました。
1店舗目は苦戦したところもありましたが、その2店舗目をオープンさせて半年くらいで、全国約1000店舗ある中で2番目の在籍数を記録するというすごくいい成績を残すことができました。
そして、3店舗目を開くころにはやっと事業計画に沿った経営をすることができるようになりました。
1店舗目の人がいない中で結果を出していかないといけないというのが辛い部分のありましたが、今となってはいい思い出ですね。
度重なる苦労を乗り越えた先にあるものは
──ここであなたの人生に影響を与えたものを教えてください。
まずは『「 優しい会社」時代の大転換期に会社は、人は、どこへ向かえばいいのか』という本。
影響をすごく受けいて、いつも心のどこかにある本です。
この本は時代の流れを春夏秋冬の四季に例えていて。
例えば戦後は「冬の時代」、そんな厳しい時代には本田宗一郎みたいなタイプの人が活躍するとか。自分がその時代に必ずしも合うわけでなく、多様な人がいて、その時々に活躍する人がいる。
私自身この人を尊敬しているから何もかもその人をマネするのではなく、色んな人のそれぞれのいいところを取り入れて成長していければいいなという考え方を持っているのでとても参考になった1冊です。
あと、もう一つこっちの方が影響受けているなって言う本もあって。(笑)
それが『永遠の0』。
これは読み始めたら止まらなくて、1日で読みきってしまいました!これはある人に「これを読むとその後の人生が変わるよ」と薦められて読みました。
多くの人が特攻で命を落してまで、命がけで守ってきた日本であったり大切な人。読んでいるうちに、もっと真剣に命に大切に生きようという根本の部分を学ばせてもらった本です。
目指すキーワードは「健康」
──最後に次に向けてのビジョンをお教えください。
これからはスタッフの夢から新しい事業ができていけばいいなと思います。そういった企画案の総称を『ハッピートライアングルヴィレッジ』と私たちは呼んでいます。
例えば子供の将来が心配だというスタッフには「ハッピートライアングル学園をしようか」と言ってみたり、政治に対して不安を抱くスタッフには「立候補しようか」と言ってみたり。(笑)
うちのスタッフみんな女性ばかりです。女性が働こうと思えば出産や育児、保育園、待機児童であったり何かと悩みが生じます。そういうスタッフの子供の面倒がみられるような保育園をしようかと話していたり・・・また今後生じるであろう介護の問題も女性が働く上での悩みの種になるでしょう。
そういう問題を全てひっくるめて『村(ヴィレッジ)』のイメージで、子供もお年よりも何もかも一緒に看ていけたらなと思っています。
もう一つ、今現在健康事業において店舗で活動をしていますが、本当に運動が必要な方というのは、家から遠出して店舗へ出向くのが難しいお年寄りなのではないかと考えております。そんなお年寄りを対象に、お年寄りの住まいの近くの公民館、寺や神社を使ってイメージは中国の太極拳のようなものが出来ないかと構想を練っています。もう少ししたら実際に動き出したいと思い準備をしています!
今までの話を踏まえていえるのは、キーワードは『健康』。
それは子供からお年寄りまでの人間にも言えることですし、会社や企業等の組織にもいえることです。『健康』と言うキーワードの元で今後の事業を展開していければと思っています。
──北野社長ありがとうございました!
一筋縄ではいかない経営を、見事に立て直した手腕に感服の一言です!人間、組織までも健康に導く北野社長。北野社長のような方が社会を変えていくのかもしれません!
次回をお楽しみに・・・
株式会社エフアイ
代表取締役社長 北野裕子
前身である写真の現像の専門店を父から継承した後は、30分フィットネスで有名な「カーブス」や、整体・骨盤矯正の「カラダファクトリー」を展開する健康事業をはじめ、セミナー研修、コンサルと幅広く事業を展開している。