目次
開運館E&Eでタロットカードを使った占術鑑定士をされている
椿六葉先生
50歳を過ぎて念願のバリ留学を果たされました。
そのバリ留学で得たものとは?そしてバリの人々、スピリチュアルな出会いとは?
何故バリ島へ留学したのですか?
50歳になったら自分のやりたかった事をしようと思っていて、まず英語の勉強を始めました。
異文化にとても興味があったので、英語が話せるとより情報収集できるし、今以上に沢山の人とコミュニケーションが取れるからです。
まず最初は「スマホ留学」というのをしました。
毎日送られてくる動画で勉強しました。
三カ月の集中講座です。
成果はともかく、楽しく一生懸命毎日取り組みました。
ちょうどそのころラジオで同じような年代の人がセブ島留学をしたという体験談を聞き、私も行きたくていてもたってもいられず、ネットで検索していたら、バリ島でも英語の勉強ができると知りました。
バリは神々の島で、私にとってもパワースポットなので思い切ってバリ島へ1ヶ月間行く事に決めました。
語学学校とパワースポット巡りの日々
バリ島では語学学校に通いながらパワースポット巡りを中心にマンクーやバリアンと呼ばれる聖職の方々にお会いしました。
バリアンのアキコさんに言われた事は日本に帰国してからとても良い指針になっています。
マンクージンバルさんとは縁あって一緒にスピリチュアルツアーに行く事になりました。
この方は会って2回目の時(最初会った時は祭りだったのでごあいさつ程度)最初から私の事を
「スピリチュアルをしている人ですね」
と言って通訳してくれている友達に言ったそうです。
友達は知らなかったので
「いいえタロットカードを読んでいる人です」
と答えたら
「それはスピリチュアルですよ!」
と言われたみたいで最初からビックリでした。
私に必要な鍵のある島
その後も私が聞きたかった事をすべて話す前から答えてくれて私が質問する必要がありませんでした。
私に必要な鍵が2つあると言われてそれがバリ島にあると聞きました。
そして急きょ最後の日にその場所に行く事になりました。
なんとマンクージンバルも付いて来てくれました。
バリ島からさらにボートに乗って1時間かかる、とにかくお寺が沢山ある島でした。
私は3つのお寺を回りました。
その後、またボートに乗って次の島に渡り、そこから徒歩で大きなつり橋を渡って3つ目の島へ渡ったところから椅子のついたトラックの荷台に乗って山の中に入り、道なき道を進んで、山小屋の様な所に連れてこられました。
そこでご飯を食べようと言って注文をしてから、のんびり木の実を取ったり写真を撮ったり、散々遊んでいて
「あれ?ご飯作ってるのかな?」
と思った頃に娘さんがバイクで帰って来ました。
手には野菜がはみ出たレジ袋!
注文を聞いてから山をバイクで下りて仕入れに行っていたようです。
冗談のようにのんびりしていて心が和みます!
その時点で私は
「今日のフライトに間に合わなくて帰国できなかったらそれはそれでまだ帰ったらだめと言う事だから焦るのは辞めよう」
と思いました。
いよいよ最後のパワースポットへ
そんなこんなでご飯も食べ、山小屋ファミリーとも仲良くなりました。
そしていよいよ最後のパワースポットへ出発!
山小屋の裏にある細い道をてくてく歩き始めました。
マンクーが杖を貸してくれました。
それが必要な道と言う事で・・・
どんどん山を下りて行くと東尋坊を小さくしたような断崖に出ました。
振り返ると海に向かって大きな女神の像が立っていました!
それはもう感動でしたね…!
そこは聖職の人がお祈りをして修行をする場所だと言う事でした。
観光では決して行くところでは無いでしょう。
ここで祈りをして帰りはバイクでボート乗り場に送って頂きました。
私は山小屋のマンクーに乗せてもらいました。
なぜか涙があふれて来て、途中からはこらえきれず声を出して泣きじゃくってしまいました。
止まらないどうしようと思っていたらマンクーが歌を歌ってくれました。
とても優しい子守歌のような歌を聴いているとスーッと涙が乾いていきました。
そして同行していた友達たちとボート乗り場で落ちあい、お別れのハグをそれぞれした時はすっかり笑顔になれました。
ボートに乗って1時間でサヌールに到着したのが午後五時。
それからマンションに戻ってマンションの皆さんとお別れを済ませて帰国しました。
帰国するといい事が沢山待っていました。
帰国して最初に聞いたニュースが2019年秋の朝ドラが私の住んでいる、しがらきを舞台にした「スカーレット」でヒロインが大好きな戸田恵梨香ちゃんと言う事!嬉しい!何だか運が向いてきている気がしました。
帰ったら検査をし、手術になるかも知れないと思っていた首と腰も治っていました。
暖かいところでゆっくりしたからかもしれないですが本当に良かったです。
▲毎日お散歩に行って日曜日にはフリーヨガをしていたレノンパーク
▲アイコンタクトで自然と仲間に入れてくれたヨガ仲間
---聞いているうちに、私もパワーを分けてもらえてる気分になってきました。バリでの1ヶ月間はとても充実していたんですね。
占い師になったのはバリに行く前だったのですか?
私が占い師になるまで
48歳の頃、色々あって、私は家族と離れて岡山にある父の実家に一人で暮らしている時が有りました。
岡山で急募の事務員があったので、タイミング良くすぐに仕事を始める事が出来たのですが、半年くらいたった時、正社員とは言え事務員だけの収入では生活が苦しくなると思い、古巣のバス会社でアルバイトをする事になりました。
ところがある事件がありその影響でバス会社が危機状態になったのでアルバイトが当分できなくなりました。
それと同時に勤めていた建設会社から、理不尽な理由で退社を勧められてしまい窮地に追い込まれている時に「電話占い師募集」を見たんです。
岡山の家に一人暮らしを始めた頃から、何故か占い師になる事を意識していたので連絡してみました。
一社目は3回の試験の模擬鑑定で落ちてしまいましたが、少し感覚を掴んだ事も有り、次に違う会社に応募して見事合格する事が出来ました。
東京へ研修に行き、半年後には占いで生計を立てる事が出来るようになりました。
---努力もされたのでしょうが、きっとそういう運命を持っていらっしゃったのでしょうね。
椿先生と話していると、本当に癒されます。
占い師の方って、ただ単にカードや手相をみるのではなく、何か目に見えない力を持ってらっしゃるのかなと感じます。
好奇心を原動力に人生を楽しみたい
では、そんな椿先生の今、一番の原動力をお聞かせ願えますか?
偉そうに聞こえるかもしれないですが、変な使命感のようなものがあります。
それ以外では、いくつになっても人生を楽しみたいという好奇心が私の原動力です。
これからやりたい事
---今後にむけて、こうしたいとか、ああしたいといったビジョンをお教えください。
11カ月働いて1か月はバリ島で暮らす生活がしたいです(笑)
心を痛めている人に元気になってもらえるようにスピリチュアルツアーを国内外で行ったり。
女性や若者の駆け込み寺みたいなハウスとか。
不登校や引きこもりの人達が自分を見つめて社会で活躍できる方向を見つけたりしたいです。
信楽と岡山の家をゲストハウスにして、信楽に一部屋でも多くのゲストハウスが誕生するように啓発とサポートの活動したいと考えています。
---とても興味深いお話をありがとうございました。
椿先生の人生は50歳を過ぎて、益々好奇心に溢れ、キラキラ輝いていてまぶしいです。
いくつになっても人生を諦めない攻めの姿勢を教えていただけた気がします。
スピリチュアルツアーや駆け込み寺ハウス、ゲストハウス、どれもとても興味深く、実現する日を楽しみに、アラモードも影ながら応援したいと思います。
信楽を舞台にしたドラマも楽しみですね。
【私の人生に影響を与えた○○】50歳を過ぎて念願の留学を実現!1ヶ月のバリでの生活でふれあった人々とこれからの自分(その1)も是非ご覧下さい
■開運館E&E占術鑑定士
http://www.kaiunkan-ee.com/fortune/?no=2279