【こんなところにサワジェンヌ】50歳を過ぎて念願の留学を実現!1ヶ月のバリでの生活でふれあった人々とこれからの自分(その1)

タロット占いの椿六葉先生の紆余曲折

昨年、サワアラモードのクリスマス会にもご参加くださつた、占い師の椿六葉先生

▲クリスマス会の時の椿先生(前列左端)

現在は滋賀県草津市のイオンモールなどでタロットカードを使った占いをされています。

子どもの頃から占いが好きだったという椿先生ですが、仕事として占いをするに至るには、様々な人生の転機があったそうです。

そんな椿先生にお話を伺いました。

やればできるという自信

私は中学生の時に、とても憧れていた同じテニス部の先輩がいる高校へ行きたいと担任の先生に話したら

「お前の成績では無理や」

とあっさり言われた事に奮起し、

「絶対に成績を上げてみせる!」

という思いで、通信教育の教材を使って猛勉強をしました。

元々の成績が酷かった事も有り、なんと1年で五教科の平均点が50点も上がりました。

最終的な進路ではそこそこの進学校へ進める事にはなったのですが、家庭の事情で将来高卒で働くという事を考えて地元の商業高校へ進みました。

担任の先生はギリギリまで願書を出さずに進学校をすすめてくれたんですけどね。

でも、そのおかげで自分はやったらできると自信を持てたのは大きかったなぁと思います。

進路に選んだのは、なんと◯◯

その後、第二番目に分岐だったのは、今度は高校3年生の進路を決める時、自分では高卒で働くなら銀行かメーカーの事務をしたいと思っていたのて、簿記検定は2級を取りました。

ところが学校の実習でとにかく事務の仕事が嫌いになっていました。

そんな時にリクルート社から送られてきた電話帳ほどある進路の本に、はとバスのガイドさんの密着レポートが特集されていました。

それを見た私は

「これだ!」

と思わずにはいられませんでした。

「喋る事と乗り物が大好きな自分にピッタリの職業」

自分で一度決めたら迷うことはありません。進路はバスガイドに決めました。

体が弱かったので周囲から反対されましたけど、このバスガイドになった事は本当にその後の人生を大きく変えたと思います。

 

---なるほど。
高校生の時に、これだ!と思えるものを見つけられたのは、とても幸せな事ですね。

 

そのほかに人生に影響を与えたものはありますか?

影響は常に受けているので特別にこの本がとか映画とかっていうのは中々難しい質問です。

音楽はPrincessPrincessのダイヤモンドかな~(笑) 影響受けたというよりも好きな曲です

その他に、本と言えばトーベヤンソンンのムーミンシリーズです。
彼女のすべてに感化されたと思います。

21年前に信楽に移住した時はムーミン谷のように自然に囲まれて地域で子育てできる環境を探している時に巡り合った場所でした。

 

 

信楽の人を携帯の電話帳のグループ「ムーミン谷の仲間たち」にしていたし(笑)

ムーミンシリーズは今も大好きな絵本です。

 

そして、なんといっても2018年11月に行った1ヶ月のバリ島留学は私の第二の人生に大きく影響があったと思います。

ーーーバリ島留学のお話はバリ島編で詳しく

 

バリ島での留学のお話を伺う前に、現在の活動にいたる経緯とその中で苦労したことをお聞かせください。

全てが占い師になる為の導き

はい。

占い師になるまでの事は本当に一言では語れないくらいに思い起こせば色々…今迄の事が占い師の職業になる修行だったり導きだったと思える事ばかりです。

結婚を機にバスガイドを寿退社したあとは、夫の母親の営む結婚相談所のお手伝いをしていました。

3人の子供達が保育園に行っている間の10年間は土日に休める事務職をしていましたが、その後はやはり結婚相談所のお仕事を手伝ったり大好きなバスに乗ったりしました。

とにかく若かったし育児をしながらでも色々な事にチャレンジしました。

英語の育児サークルを作ってみたり、ママ友からお茶のお点前やお料理を習ったり。

夫が転職活動している時には

「これを機会に北海道の牧場へ住み込みで行ってみよう!」

と言って北海道の牧場に住んでいた事もありました。

 

好奇心が服を着て歩いているような人間でしたので、チャンスがあれば何でもやってみたくて、今思えば色々やったと思いますが、当時は自分は我慢ばっかりしていると思っていましたね。

特に海外生活に幼い頃から興味があり、英語は全然話せませんでしたけど

「生活したら喋れるようになるかも?」

という思いもあって、かなり憧れていました。

インターネットで世界が広がった

その後、インターネットで世界とつながる事が出来るようになり、怖いもの知らずでヤフーチャットやスカイプで知り合った外国人を家に招いて泊まってもらったりして

 

「行けないなら来てもう」

という感じ。

---すごく活動的だったんですね。3人のお子さんの子育てをしながら、それをされていたのだから、本当にすごいですね!

 

得意のボランティアガイドで信楽を連れまわしましたら、

「こんないいところとは知らなかった!」

と言って何回も来てくれた韓国人やアメリカ人のお友達も出来ました。

アメリカ人のお友達は後に信楽にセカンドハウスも私の勧めで購入される事になりました。

そのアメリカ人夫婦とは家族ぐるみのお付き合いをしていて、バリ島へ我がファミリー初の海外旅行へ行った時には、それがきっかけでバリ島にもお友達が出来て、また後日家に泊まりに来てもらう事になり、その数年後にはFacebookでも繋がり、継続的にお互いの近況をやり取りしていました。

信楽にダーツバーを開業

今から10年前に、成人した息子達がホームタウンでも遊ぶところがあればコミュニティになると考えて、ダーツバーを開業しました。

 

お店には、家族で子供達をのびのび育ててくれた信楽に感謝を込めてインドネシア語で「感謝・ありがとう」という意味の「Terimakasih」という名前を付けました。

(残念ながらダーツバーは今は閉店しています)

お店ではバリの料理も出したいと考えて、バリの友達にメニューを相談し、料理を教えてくれる人を紹介してもらい、バリ島に数か月行ってみたいと思って相談した事も有ったけどなかなか実現しないままになっていて自分で「行く行く詐欺」と言いながら月日が流れていきました(笑)

しかし!遂に50歳を迎え、念願のバリ留学を叶える事ができたのです!

---ここまでお話を伺っただけでも、すごく波乱万丈の人生で面白かったですが、バリ留学のお話も興味深いです。続きは【私の人生に影響を与えた○○】50歳を過ぎて念願の留学を実現!1ヶ月のバリでの生活でふれあった人々とこれからの自分(バリ島編)をご覧下さい

椿 六葉(つばきろくは)

■開運館E&E占術鑑定士
http://www.kaiunkan-ee.com/fortune/?no=2279